トヨタ社長「100年に一度の大変革」のコトバの意味。 | ドイツビジネスコンサルティング

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トヨタ社長「100年に一度の大変革」のコトバの意味。

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【2023年1月26日追記】
JETRO様のWEBサイトで、弊社が受託した調査レポート(「ドイツにおける自動車産業支援策・スタートアップ企業と自動車産業との協力」)が閲覧可能になりました。関連ページへ
>>レポートを直接閲覧
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EV市場成長の背景と実現可能性

2015年のパリ協定を契機に環境保護へ向けた意識が世界中で高まり、2019年には、フライデー・フォー・フューチャーで市民によるムーブメントが巻き起こった。このような流れがあり、欧州では独・仏・英の政府を中心にEUが世界に先行して内燃車廃止に向けた取り組みを加速させている。

(参考)BEV世界市場で最も有望な地域は欧州である。

ガソリンやディーゼルなどの内燃車に代替する自動車は、EVが最も現実的となっているのだが、この分野では中国を筆頭としたアジア勢との競争に、欧州勢は敗れる可能性がある。最重要部品の電池生産をアジア勢が握っているからである。

そのため「環境」という錦の御旗(=世界中から非難を浴びない理由)を掲げて、欧州が有利になるようなルールメイクをすることを欧州委員会は検討している。そのひとつとして、自然エネルギーから生成されるグリーン水素を活用した「e-fuel」を動力源とした自動車の開発である。

(参考)水素の液体燃料e-fuelへ。トヨタ勢がAudiを追い始める。

(参考) e-fuelの開発へ意欲を見せたポルシェ。

この戦略でキーとなるのは「LCA(ライフサイクルアセスメント)規制」である。現在の排ガス規制は、自動車走行中のCO2排出量が規制対象となる。一方、LCA規制の規制対象は、自動車の部品調達から製造、販売等、全てのプロセスを通したCO2排出量(環境負荷)が対象となる。これにより、自然エネルギーの進んでいない欧州以外に製造拠点を有する国は不利になる。これは、域内の雇用・欧州企業の競争力を保ったまま、欧州がゼロエミッション社会を実現させることに繋がる。その戦略実現のためには、水素の活用が必要となる。そのため、欧州は水素に関する投資も進めている。

(参考)鉄鋼の産業方針をドイツ政府が発表

(参考)EUは「EU水素戦略」を策定し、新組織も発足。

(参考)ライフサイクルアセスメント(LCA)と水素。EU企業の動向。

しかしまだe-fuelも水素自動車と同じく実用段階にはない。自動車製造コストも極めて高額であるため、ゼロエミッションのために最も有力な代替自動車はBEV(電気のみを動力として走る自動車)である。

 

EV市場を制する勝負の時機

一方、自動車メーカー/部品メーカーはこの動きに危機感を感じ、EV開発/改革を急ピッチで進めている。また政府の危機感と同じく、自動車メーカーのEVに関する課題も電池製造である。そのため、自動車メーカーはEV用の電池製造へ向けた垂直統合の方向へ向けた動きを見せている。

(参考)自動車業界で進む、EVバッテリー領域への垂直統合。

EVメーカーとして先頭を走るのはテスラであるが、テスラがトヨタを超えて(自動車業界内で)時価総額が世界一となったのは記憶に新しい。そのテスラであるが、これまでは高級路線を突き進んでいた。

しかし2020年9月の発表で、テスラは「3年後に1.5万ドル(260万円)のEVを発売する」と発表した。大衆車として欧州で販売台数が大きいGolfでさえ価格が約2.5万ユーロである。テスラが発表した価格は、圧倒的であることがわかる。

(参考)テスラ、EV用セル内製化 3年後に260万円の新型車

テスラのこの動きからも予想できる通り、EV市場は爆発的に成長する時機に差し掛かっている。欧州での2019年のBEV販売台数は35万台程度であるが、2030年には250万台まで大きくなる。この時点で市場を制する(=マーケットリーダーになる)ことには大きな価値がある。なぜなら、2030年以後のEV市場成長は更に加速し、一気に自動車市場全体を制することに繋がるからだ。ただし、この時点で代替自動車としてBEV以外の手段がない場合である。また2030年までにBEV以外の代替自動車が普及する可能性は極めて低いため、少なくとも2030年までの市場成長を取り込めることは確実である。

今が重要なのである。

 

100年前と同じ変化

ガソリンからEVへ移行が急速に進んでいるが、それは異常なことではない。自動車の歴史を紐解いてみればわかるように、1900年時点では、まだ馬車が主流であり、内燃自動車は今のEVのような位置づけであった。

アメリカのGMも、もともとは馬車メーカーであった。また1908年の自動車年間販売台数はわずか50万台であり、今のBEVとさほど変わらない。1903年にGMは16台しか自動車生産していない状態であったが、創始者のデュラント氏は馬車部品メーカーを次々に自動車部品へ鞍替えさせて行った。それが、その後のGMの成長につながったのは自明である。

100年前に馬車から自動車へと社会が変化するスピードは早かった。

(1900年のニューヨーク)

new york 1913

(1913年のニューヨーク)

BEVへの移行が信じがたいのは、乗り物のフォルムがBEVと内燃車でほぼ同じだからであるが、馬車から自動車への移行した時代と比較すれば、さほど不思議なことではない。

トヨタの豊田章男社長が「100年に一度の大変革の時代を」と以前コメントしていた。おそらく、豊田社長はこの歴史を鑑みて発言したのではないかと推測すると、納得感も大きい。

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